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『神が必ず裁きを行い・・・(詩編75編 .2)』 04/20/2003

「神が必ず裁きを行い、ある者を低く、ある者を高くなさるでしょう。」(8節)

 神の裁きは信仰によって歩む人々の希望です。
信仰によって歩んだ人々は皆、神が高くしてくださるまで低く扱われることに忍耐しなければなりませんでした。箱舟を造ったノアは、人々から馬鹿にされた時、神の御言葉を語るか、沈黙して忍耐するしかなかったでしょう。箱舟を造り続けるかぎり、自分を高くしようと思っても不可能でした。(創世記6‐7章)ダビデは王でしたが、その生涯にわたって、自分の力が及ばない敵の存在に苦しみ続けました。(サムエル上3:39、詩編10:4‐5、その他詩編参照)特に不当に低く扱われ、不当に苦しめられた信仰者の生涯は、神の裁きなしには、ただの悲惨な生涯でしかありません。(ヘブライ11:35‐38)「義のために受ける苦しみを幸いとする」使徒の励ましや勧めも、神の裁きを考慮することなしには、理解できません。(第一ペトロ3:14‐15、4:13-14)
 
信仰によって歩む人々は皆、神の裁きに希望を置いてその生涯を歩み抜いていったのです。

 また、神の裁きは信仰者の平和です。
ねたみと争いが、人の間から無くなることはありません。教会も例外ではありません。「一人を持ち上げてほかの一人をないがしろにし、高ぶらないようにする」ために与えられたパウロの勧めが、全く無用になることはないでしょう。(第一コリント4:6)

 自分を高くするのも、低くするのも神であるとはっきり知ることが、ねたみと争いを遠ざかる道です。(参考 第一コリント4:3‐5)