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『公平な裁き(詩編75編)』 04/13/2003

 「わたしは必ず時を選び、公平な裁きを行う。」(3節)

 主がはっきりと約束されたところによれば、公平な裁きは必ず行われます。それが真実であることは、しばしば示されました。ノアの時代における洪水(創世記6‐7章)、ソドムとゴモラの滅亡(創世記19章)、カナンの地に住むアモリ人への裁き(創世記15:16)などは、そのよい実例です。しかし、主の裁きを告げる御言葉や行動が、神を信じない人々からは無視されたり、冗談だと思われたりしたことも事実です。神を畏れない人々にとって、主の裁きはどうでもよいことでした。

 それに対し、神を信じる人々にとって「公平な裁き」は大きな希望でした。しかし、それをどこまでも待ち望むことは、殉教するほど深い信仰を持つ人々にとっても難しいことでした。(黙示録6:9‐11)「公平な裁き」を待ち切れなくなった人々に対して、主は「しばらく静かに待つように」と告げられました。(黙示録6:11)公平な裁きは必ず行われます。
 
しかし、「時」を選ばれるのは、主です。

 「わたしは必ず時を選び、公平な裁きを行う。」(3節)
 
これは、福音です。
信仰によって歩んだ「おびただしい証人」たちは、このことに望みをおいて、歩み抜いて行きました。
主の「公平な裁き」を福音として生き生きと待ち望む信仰と生活を、主が与えてくださるように祈ります。

 主に対して驕る者たちに「驕るな」「お前たちの角を高くそびやかすな」「胸を張って断言するな」と応じることができるほどの確信を与えてくださいますように。(5‐6節)