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『理由もなく・・、いわれもなく・・・(詩編69編)』 01/05/2003

 「信仰があるなら、生き生きとした喜びがあるはずだ」と考えるなら、それは誤解です。
ダビデはこう告白しています。

「叫び続けて疲れ、のどは涸れ、わたしの神を待ち望むあまり目は衰えてしまいました。」(4節)

 この時のダビデに生き生きとした喜びなどなかったでしょう。それだけではなく、生命力もない者のように見えたことでしょう。しかし、信仰は、平穏な時に勝るとも劣らないほどに彼を支え、生かしていました。
わたしたちにまず必要なのは、それほどの信仰を与えたもう聖霊であって、曖昧な喜びや生命力ではありません。

 ダビデは、驚くほど多くの「憎む者」や「敵意を抱く者」に囲まれて苦しんでいました。(5節)
それは、「喉下にまで達した大水」のようであり、我慢の限界を超えていました。また、それは「深い沼にはまり込んだ」ようであり、逃れる術も見出せないような苦境でした。(2、3節)
しかし、彼には望みも確信もあります。
自分を憎む者たちは「理由もなく」「いわれもなく」敵意を燃やしているからです。(5節) 
自分の「愚かさ」と「罪過」が神には明らかだとしても、神は自分に味方してくださると確信しているのです。(6節)

 これこそ、信仰によって支えられながら歩もうとする時にぜひとも必要な確信です。
熱心な悔い改めをめんどうなこととせず、この確信を日々新たにいたしましょう。