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『日々、担い、救われる神(詩編68編続き)』 12/29/2002

 聖書には、神の救済のご計画の中で、画期的な出来事が繰り返し記されています。
たとえば、出エジプトのことが繰り返し思い起こされています。この詩編でも同様です。(8‐11節)しかし、そのような記事を読む時に、わたしたちが常に意識すべきことは、「あの時」と「今」とでは、神との基本的な関係に何の変わりもないということです。あの時、彼らを「日々、担い、救われた神」は、今もわたしたちをそのように担い救っておられるのです。(20節)しかし、このことは、わたしたちが見失いやすい事柄です。わたしたちは、自分に栄光を帰する傾向が極めて強いからです。

 もし、わたしたちに生活を切り開く力があり、何事かを成し遂げることができるとすれば、神がそのように命じられたからであると認めなければなりません。(29節)「力を神に帰せよ。・・・イスラエルの神はご自分の民に力と権威を賜る。神をたたえよ。」(35、36節)
そのようにして
「日々、わたしたちを担い、救われる神」を認めて、ほめたたえてこそ、明日に対して本物の希望と確信を持つことができます。

たとえ、明日の重荷が「死」であるとしても、それをも「担い、救われる神」に信頼するからです。(20、21節