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『我らは火の中、水の中を通ったが・・・(詩編66編続き)』 12/08/2002

 自分の知恵や力が通用せず、途方にくれるほど厳しいものが、苦難です。
大胆にも、この詩編はそのような苦難の源が神であると断言します。
「あなた(神)は我らを網に追い込み、我らの腰に枷をはめ、人が我らを駆り立てることを許された。」(11、12節)
人間的には、その苦難の原因をいろいろと分析することもできるでしょう。
しかし、どのような分析がなされるにせよ、我らに「火の中、水の中」を通らせたのは、神です。(12節)
しかし、同時に「我らを導き出して、豊かな所に置かれた」のも、神です。(12節)
この詩編は、このようにして人間の理解をはるかに超えた神のご支配を仰いでいます。そして、苦難の中でも全ての信頼を置いて祈るに値する唯一の御方を見出しているのです。

 普通なら、「火の中、水の中」を通ることなどできません。
しかし、それを通って、「豊かな所」にまでたどり着くことができたのは、
主の導きを信頼して祈り続けることができたからです。(13‐20節)そして、祈りは決してむなしい独り言ではありませんでした。
神は祈る声に耳を傾け、聞き入れてくださいました。(19節)
 しかし、一つ条件がありました。
心に罪を大切に育ててはならないのです。(18節)

罪を残酷に扱い、大胆に罪を告白し、悔い改めて、進みましょう。
それこそ、苦難に処する道としてこの詩編が教えていることです。