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『来て、神の御業を仰げ(詩編66編)』
「神は海を変えて乾いた地とされた。人は大河であったところを歩いて渡った。」(6節)
これは、神がイスラエルになされた大いなる御業であり、イスラエルに語り伝えられてきたことに他なりません。
しかし、決して昔話ではありません。現在にも深く関わりのあることとして伝えられてきたのです。語り伝えられてきたことに基づいて、今、そのような大いなる御業をなさった神を仰いでいるからです。
今、その御方が、我らの神なのです。だから、この詩編の信仰者はその場にいなかったにもかかわらず、こう歌います。「それゆえ、我らは神を喜び祝った」(6節)
どんなに多くのことを聖書から学んでも、昔話のままでは役に立ちません。
どんなに信仰の経験を積んでも、思い出にしているだけでは、いつかは色あせてしまいます。
今、「神を仰ぐ」ということが伴わなければなりません。
そして、今、「我らの魂に命を得させ」、「我らの足がよろめくのを許されない」大いなる神をほめたたえて、わたしたちの喜びとさせていただきましょう。(9節)