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『荒れ野において(詩編63編)』 11/03/2002

 40年にわたって荒れ野を旅したイスラエルの民にとって、その生活の喜びや楽しみはどこにあったでしょうか。もし、神を礼拝して信頼することが喜びでなかったなら、荒れ野には何の楽しみもなかったでしょう。カナンの地に住んでも、その喜びと楽しみを忘れないようにすることが、彼らの信仰生活の中心でした。

 荒れ野のダビデは、のども渇き、腹も減り、将来の不安もあったでしょう。しかし、彼はそれらの問題をすべて二次的なこととして、ただ神に飢え乾いて、神だけを求めました。(2節)
そして、神への信頼によって霊的に満たされた時、もはや苦しみも悩みも過ぎ去った人のようでした。(3‐6節)
また、祈りによって敵を完全に圧倒していました。(10‐12節)
あらゆるものに不自由を感じるはずの「荒れ野」が、ダビデにとって「主の力と栄え」を仰ぎ見る「聖所」でした。(3節)

信仰生活の最も基本的な喜びと楽しみは、「荒れ野」にあります。
順境にあっても、逆境にあっても、このことを覚えていましょう。