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『神はご自分の民を裁く(詩編50編)』 06/30/2002

 主は、ご自分の民への裁きを宣言されます。(1‐7節)礼拝は、形式的には抜かりなく守られていました。(8節)しかし、その奥には、「献げ物をしてあげている」「礼拝をしてあげている」というような高慢が潜んでいたようです。主は、そのような高慢を厳しく拒否されます。(9‐13節)    

 御言葉も表面的には重んじられているように見えました。(16節)
しかし、民の背きは、彼らの「仲間」と口の言葉によって知られました。(18‐19節)
心では主の諭しを憎み、主の言葉を捨てて顧みなくなっていたのです。(17節) 
それなのに、表面的には落ち度がないから、自分では気づけません。ここに、偽善の恐ろしさがあります。

 では、どのようにして、このような偽善の道を遠ざかることができるでしょうか。
「告白を神へのいけにえとしてささげ、いと高き神に満願の献げ物をせよ。」(14節) 

この「告白」は、罪の告白ではなく、信仰の告白です。神への讃美と感謝の告白です。

讃美と感謝の告白をもって主を正しく仰ぐ時、主の栄光が輝き、薄暗い偽善は過ぎ去ります。