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「息あるものはこぞって主を賛美せよ。」 (詩編150編.4)07/29/2007

  「息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。」 (6節)

  実に単純な締めくくりです。今まで詩編を通して学んできたことは、このひと言に集約されるのではないでしょうか。確かに、単純には主を賛美できない状況があり、理由があり、思いがあるでしょう。自分の心の内も外も単純ではなく、複雑です。しかし、だからこそ、このような詩編の単純さが重要です。実際、150編にわたる詩編の全体を通して、いかなる時にも詩編の信仰者は、主を賛美することに向かって戦っていました。順境においても逆境においても、富む時にも貧しい時にも、健康な時にも病める時にも、詩編の至るところから、「主を賛美せよ」と叫ぶ声が聞こえてきます。
「息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。」

  わたしたちは、何のために聖書を読んだり学んだりするのでしょうか。励ましや慰めを求めて読むかもしれません。あるいは、神を正しく知り、信仰を養われるためかもしれません。しかし、詩編をここまで学んできた今、もっと単純にその目的を定めるのが良いように思います。
「主を賛美する」
ためです。
 そのような目的が、聖書の神を信じない人々にとって荒唐無稽なものであり、まったく意味のないものであることは当然です。しかし、クリスチャンにとってまで、そうであってはならないでしょう。

 わたしたちの日々の生活が、「主を賛美せよ」との単純な御言葉を受け入れて、人生の目的とできない主な理由は、自分自身の外にではなく内にあります。ユダの王ヒゼキヤは、ユダの歴代の王の中でも優れて信仰深い王でした。この王の下でなされた改革は、神の祝福を受けて見事に成功し、奇跡とさえ言われました。しかし、そのようなヒゼキヤでさえ、自分が賛美されたいとの思いを隠していました。(歴代下32:24−31)これが主を賛美することから生ずるべき単純な力や判断を奪っていきます。

不信仰で複雑な世界と時代の中にあって、単純に主を賛美して進んでいきましょう。

「息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。」(6節)