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「 力強い御業のゆえに 」 (詩編150編.2)
「 力強い御業のゆえに、神を賛美せよ。
大きな御力のゆえに、神を賛美せよ。」
(1節)それらの御業や御力を見ているわけではありません。見ているところは一部分であり、鏡に映ったようにぼんやりとしか見ることができません。聖書によって啓示されつつも、いまだに隠された「力強い御業」と「大きな御力」を信じているのです。それゆえに、神を賛美します。しかも、それらが、自分にとって救いであり助けであると信頼して賛美します。
力強い創造のゆえに、神を賛美せよ。
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから。」(詩編121:1−2 )力強い摂理のゆえに、神を賛美せよ。
「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる。」(詩編37:23)「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8:28)
力強い贖いのゆえに、神を賛美せよ。
「罪の中に死んでいたあなたがたを、神はキリストと共に生かしてくださったのです。」(コロサイ2:13)「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。」(ローマ8:32)なぜ、ここまで神が味方してくださると信じるのでしょうか。力強い贖いの御業のゆえです。
これらの「力強い御業のゆえに」、
そこにあらわされた「大きな御力のゆえに」、神を賛美せよ