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「主の慈しみに生きる人」 (詩編149編.4)
「主の慈しみに生きる人は栄光に輝き、喜び勇み 、
伏していても喜びの声をあげる。」 ( 5節 )
「主の慈しみに生きる人」の栄光は、不信仰な世に対しては隠されています。洗礼者ヨハネは、神の御前で栄光に輝いていました。「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネよりも偉大な者は現れなかった。」(マタイ11:11)しかし、人々は彼を認めず、好きなようにあしらいました。(マタイ17:12)世の評価に依存したなら、彼が自分の栄光を確信することはできなかったでしょう。信仰者は人の誉れではなく唯一の神の誉れを求めて、自らの栄光を確認すべきです。パウロは人間的には不名誉な死刑を目前にして、「義の栄冠を受けるばかり」だと確信しました。(第二テモテ4:8)
「主の慈しみ生きる人は栄光に輝き・・・」と言われても、自分の惨めさに失望しそうになるかもしれません。しかし、十字架につけられたキリストの栄光を見ることができたなら、次のことは真実です。
わたしたちの惨めさが大きければ大きいほど、
そこから救い出してくださる主の栄光も大きいのです。
主の栄光は、わたしたちの惨めさに決して負けません。
「わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって
輝かしい勝利を収めています。」(ローマ8:37)「主の慈しみに生きる人は栄光に輝き、喜び勇み、
伏していても喜びの声をあげる。」(5節)