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「主が望まれるのは主を畏れる人」 (詩編147編.1)04/29/2007

「ハレルヤ。わたしたちの神をほめ歌うのはいかに喜ばしく
神への賛美はいかに美しく快いことか。主はエルサレムを再建し
イスラエルの追いやられた人々を集めてくださる。」
1、2 節 )

 主は、「バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。」と約束しておられました。(エレミヤ29:10)しかし、バビロンに捕囚されたイスラエルにとって、それは人の力ではどうにもならないことでした。人の力に少しでも頼むところがあったなら、喜んで待ち望むことなどできなかったでしょう。喜ばしく、美しく快い賛美とは何でしょうか。神以外の何ものを頼みとせずに、ただ神をほめ歌う賛美です 。

「主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく
人の足の速さを望まれるのでもない
主が望まれるのは主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人。」

  (10、11節)

 「馬の勇ましさ」「人の足の速さ」は、当時の戦いにとってとても重要でした。しかし、イスラエルが滅びたのは、「馬の勇ましさ」「人の足の速さ」に欠けたからではありません。主を畏れることに欠けたからです。そして、そのようなイスラエルに対して「主の怒りが燃え上がり、もはや手の施しようがなくなった」からです。(歴代誌下36:16)

 人の力を頼みとする人は、このような成就を待ち望むことはできません。
しかし、「主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人」はあくまで待つでしょう。

しかも喜ばしく、美しく快い賛美をもって。