<< Prev.
Top
Next >>

「主を愛する人は、主に守られ」 (詩編145編.7)04/08/2007

「主を愛する人は主に守られ、主に逆らう者はことごとく滅ぼされます。」
(20節 )

 果たして、本当にそのとおりでしょうか。キリストの語られたたとえは、主を愛する僕たちの苦難と死を伝えます。
「農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、
一人を殺し、一人を石で打ち殺した。」

(マタイ21:35)

実際に、これは旧約の預言者たちの歴史でもありました。旧約最後の預言者である洗礼者ヨハネがキリストに使いを送った時、ヨハネは牢の中にいました。しかし、ヨハネがキリストに助けを請うことはなく、またキリストも牢から助け出そうとはされませんでした。(マタイ11:1−6)さらに、キリスト御自身が十字架の上で、「わが神、わが神」と叫ばれた時、それは神に呪われて見捨てられた者の叫びのように聞こえたことでしょう。(マタイ27:45−46)しかし、それは決して見捨てられたのではなく、守られたのだと、聖書は教えます。
「しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。」(使徒2:24)

わたしたちが、この地上の生涯の範囲内のことしか考えないならば、聖書の御言葉の意味を受け取りそこなってしまうでしょう。

 詩編73編の信仰者は、そのような意味において迷いました。彼には、神に逆らう者の滅びは見えず、「神に逆らう者の安泰」しか見えませんでした。それは「とこしえに安穏で、財をなしていく」ようにさえ見えました。(詩編73:3、12)しかし、主に近づいて「彼らの行く末を見分けた」時に、事の真相を了解しました。(詩編72:17)そして、神に対する信仰を告白します。
「見よ、あなたを遠ざかる者は滅びる。・・・わたしは、神に近くあることを幸いとし、主なる神に避けどころを置く。」(詩編73:27−28)

主を愛する人は、順境においてであれ、逆境においてであれ、
神から離れないように守られるのです。

「主を愛する人は主に守られ、主に逆らう者はことごとく滅ぼされます。」
(20節 )