| << Prev. |
「 主の道はことごとく正しく 」 (詩編145編.6)
「主の道はことごとく正しく、御業は慈しみを示しています。」
(17節 )
アダムとエバが蛇の誘惑に身を任せたのは、たった一つのことで神を疑ったからです。エデンの園のあらゆることが、神の正しさと慈しみを示していました。しかし、「善悪の知識の木」だけが、彼らに疑いを抱かせたのです。「それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るようになることを神はご存じなのだ。」(創世記3:5)主を信じる人は、ことごとく信じなければなりません。しかし、人間は信仰のつまずきを避けられません。それゆえ、信仰はことごとく悔い改めを伴うことでしょう。「悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15 )
「主を呼ぶ人すべてに近くいまし、・・・」
(18、19節 )
主の御名を呼んで祈るすべての人は、主が近くにおられると信じてよいのです。しかし、その人の祈りがかなえられるかどうかは、別のことです。
「まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし、
主を畏れる人の望みをかなえ、叫びを聞いて救ってくださいます。」
(15、16節 )
その望みをかなえると約束されているのは、「主を畏れる人」に対してだけです。その畏れは、罪を犯したアダムとエバのようなびくびくした恐れではありません。彼らは、神が自分たちに近づく足音にさえ耐えられませんでした。(創世記3:8−10)しかし、「主を畏れる人」は、主を畏れるからこそ、主のもとを離れません。たとえ自分の願ったとおりのものが与えられなくても、主の正しさと慈しみを信じて、主のもとに留まるのです。どんなに受け入れがたいものが与えられても、パンや魚を願ったのに石や蛇が与えられたとは言いません。まさに「ことごとく」神の正しさと慈しみを信じるのです。そして、そのことがもっと明らかにわかるように、聖霊を求めることになるでしょう。そして、この望みは必ずかなえられます。
「あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」(マタイ6:11)
「天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカ11:13)