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「わたしは歌います」 (詩編145編.3)
「人々が恐るべき御力について語りますように。」 (6節 )
神を恐れてこそ、自分の罪を知ることができます。
そして、自分の罪を知ってこそ、「神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださる」キリストを心から讃美して仰ぐことになるでしょう。(ローマ8:34)
また、神を恐れてこそ、神の恵みを知ります。「主はすべてのものに恵みを与え、造られたすべてのものを憐れんでくださいます。」(9節)神を恐れる人にとって、これは驚くべき恵みです。何気ない日常のすべてが、恵みだからです。「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」と、キリストは教えてくださいました。(マタイ5:45)
「主は恵みに富み、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに満ちておらす。」(8節)
イスラエルは恐るべき神を豊かに経験し教育されたのに、いとも簡単に神への恐れからしばしば離れてしまいました。主が「忍耐強い」御方であることを見失ったからではないでしょうか。しかし、わたしたちは、神の忍耐強さのゆえにこそ、神を恐れ敬うことを学ばなければなりません。忍耐強い御方であるからこそ、神は不信仰な民に多くの預言者たちを遣わされました。また、洗礼者ヨハネも、神の怒りと裁きを告げて、こう言いました。
「斧はすでに木の根元に置かれている。
良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」(マタイ3:10)
キリストは、そのような木のために執り成してくださいます。「今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もし、それでだめなら、切り倒してください。」(ルカ13:8−9)
主が怒りを遅くしておられることを覚えましょう。
主の忍耐がなければ、今日のわたしたちはありません。
「わたしたちの主の忍耐深さを救いと考えなさい。」(第二ペトロ3:15)