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「世々限りなく・・・絶えることなく・・・」 (詩編145編.1)02/18/2007

「わたしの王、神よ、あなたをあがめ、世々限りなく御名をたたえます。
 絶えることなくあなたをたたえ、世々限りなく御名を賛美します。」

(1ー2節 )

 神は、「世々限りなく」どんなにたたえてもたたえ尽くすことのできない御方です。また、神は「絶えることなく」毎日たたえるべき御方です。それなのに、もしわたしたちが神をたたえることにおいて退屈するなら、自分たちの信仰を吟味してみなければなりません。神は「大いなる主」なのに、わたしたちの無知や狭い視野のゆえに、小さな主にしてしまっているのかもしれません。

  このような信仰の退屈(マンネリズム)に、あの賢明なソロモンでさえ陥りました。神殿を完成した時、彼は大いなる主をたたえてこう言いました。「天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てた神殿など、なおふさわしくありません。」(列王上8:27)しかし、そのような彼がその晩年には、大いなる主をすっかり見失ってしまいました。そして、彼のために二度も現れてくださった神を、軽々と無視してしまったのです。(列王上11:1−13)主が小さくなったのではありません。ソロモンの罪が、彼の視野を小さくしてしまったのです。罪によって狭く小さくされた視野の中に映るのは、よく見ることもできず、耳が鈍くて聞くこともできず、手が短くて救うこともできない神でしょう。そのような神を、恐れることはできないし、頼ることもできません。(参照 イザヤ59:1−2)

 裁くことも救うこともできない小さな神は、確かに退屈な神です。そのような神を「世々限りなく」「絶えることなく」たたえることなどできません。もし、たたえることができるとしたら、それは偽善によってだけでしょう。退屈な信仰生活です。しかし、人が信仰に退屈する時、神も退屈しておられます。そのような信仰によって近づく人々に対して、主は「わたしは飽いた」と言われます。(イザヤ1:11)

 そのような悲惨な退屈を、わたしたちの信仰に近づけてはなりません。

「大いなる主、限りなく賛美される主、
大きな御業は究めることもできません。」

(3節)

 

 

「 いかに幸いなことか、主を神といただく民は。」(15節)