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「いかに幸いなことか、主を神といただく民は」 (詩編144編.3)02/04/2007

「わたしたちの息子は皆、幼いときから大事に育てられた苗木
娘は皆、宮殿の飾りにも似た色とりどりの彫り物。」
(12節 )
息子も娘もよく教育され、神の栄光をあらわしているというのです 。

「わたしたちの倉はさまざまな穀物で満たされている
羊の群れは野に、幾千幾万を数え、牛はすべて肥えている。」
(13節 )
労働は豊かに報われ、豊かな成果と繁栄を楽しんでいます。

「わたしたちの都の広場には、破れも捕囚も叫び声もない。」 (14節 )
安全で平和な生活が守られています。まさに申し分のない幸いが歌われています。しかし、この詩編を歌っているのはそのような幸いを楽しんでいる人々ではなくて、それらの幸いを失う経験を重ねた民です。

  主の律法によれば、それらの幸いは主の祝福によって与えていただくしかないものです。
「わたしが今日命じるとおり、あなたたちの神、主を愛し、その道に従って歩み、その戒めと掟と法を守るならば、あなたは命を得、かつ増える。
あなたの神、主は、あなたが入って行って得る土地で、あなたを祝福される。」
(申命記30:15、16)
「それ(この律法の言葉)は、あなたたちにとって決してむなしい言葉ではなく、あなたたちの命である。この言葉によって、あなたたちはヨルダン川を渡って得る土地で長く生きることができる。」(申命記32:47)

  しかし、イスラエルの民の実際の歩みについては、次のように言い表されています。
「お前は肥え太ると、かたくなになり、
   造り主なる神を捨て、救いの岩を侮った。」(申命記32:15)

「・・・先祖と同じように背き、裏切り、
  欺く弓で射た矢のようにそれて行き、異教の祭壇に仕えて神を怒らせ、
  偶像を拝んで神の激情を引き起こした。」(詩編78:57、58)

  約束された幸いを軽んじるように歩んだのが、彼らの歴史でした。そして、ついには都のエルサレムを破壊され、神殿さえも焼かれてしまいます。(歴代下36:11以下)主の律法を侮り、約束された幸いを軽んじて、その幸いを失ったのです。そのような歴史を経験した人々が、この詩編を歌っています。すなわち、二度と見失ってはならない幸いを歌っているのです

「 いかに幸いなことか、主を神といただく民は。」(15節)