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「裁きにかけないでください」 (詩編143編.1)
「主よ、わたしの祈りをお聞きください。
嘆き祈る声に耳を傾けてください。
あなたのまこと、恵みの御業によってわたしに答えてください。」 ( 8節 )
「嘆き祈る声」は、ただ苦難の辛さを嘆いている声ではありません。その嘆きには、自分の罪を嘆く声が混じっています。「あなたの僕を裁きにかけないでください。」(2節)自分の罪が招いた苦難の中で、祈っているのです。ダビデが息子のアブサロムによって都を追われた時のことが思い起こされます。それは、ダビデが昔犯した罪に対する神の報いでした。(サムエル下12:9−12、16:20−23)しかし、ダビデは祈りをやめませんでした。自分の正しさによってではなく、「主のまこと、恵みの御業によって」祈っていたからです。
「敵はわたしの魂に追い迫り、
わたしの命を地に踏みにじり、
とこしえの死者と共に、闇に閉ざされた国に住まわせようとします。」 (3節)
「闇に閉ざされた国」には、「とこしえの死者」が住んでいます。
そこは、主への祈りも感謝もない所です。
「死の国へ行けば、だれもあなたの名を唱えず、
陰府に入れば、だれもあなたに感謝をささげません。」(4節)
ダビデは、そのような所へ入りそうになっています。「わたしはいにしえの日々を思い起こし、
あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し、
御手の業を思いめぐらします。」 (4節)
このような試練によって打たれる時、
「打ち砕かれた霊」を求める神を再発見せずにはいられません。(参考・詩51:19)
「いにしえの日々から」、神はそのような御方であり、そのような御業をなさっておられたのに、自分の内の隠された傲慢や自己満足がそのような神を見えなくしていたかもしれません。しかし、自分の罪を悲しめる者は幸いです。その人こそ、恵みに依り頼む自由の喜びをもって祈る人です。
「あなたに向かって両手を広げ、
渇いた大地のようなわたしの魂をあなたに向けます。」(6節)