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「夕べの供え物、立ち昇る香り」 (詩編141編)11/12/2006

「主よ、わたしはあなたを呼びます。
速やかにわたしに向かい、あなたを呼ぶ声に耳を傾けてください。
わたしの祈りを御前に立ち昇る香りとし、
高く上げた手を夕べの供え物としてお受け入れください。」
( 1、2節 )

 「高く上げた手」とは、祈りの姿勢を表しています。すなわち、祈りの姿勢を取っている自分自身を「夕べの供え物としてお受け入れください」と祈っているのです。そして、ささげられる祈りは、その供え物が焼かれた時に「立ち昇る香り」にたとえられています。
 この詩編は、祈りを舌先、口先、言葉だけのものではなく、供え物から立ち昇る香りのように、献身に伴うものにしてください、と求めているのです。

 では、その献身とは具体的にどういうことでしょうか。
自分の口を制御してくださるように求めています。
「主よ、わたしの口に見張りを置き、唇の戸を守ってください。」(3節)
自分の心を制御(せいぎょ)してくださるように求めています。
「わたしの心が悪に傾くのを許さないでください。」(4節)
自分の歩みを制御(せいぎょ)してくださるように求めています。
「悪を行う者らと共にあなたに逆らって、悪事を重ねることのありませんように。彼らの与える好餌(こうじ)にいざなわれることのありませんように。」(4節)
そして、自分を制御(せいぎょ)してくれる人々の間で生活するように求めています。
「主に従う人がわたしを打ち、慈しみをもって戒めてくれますように。」(5節)
表面的にはこの上なく窮屈で息の詰まるような生活を求めているように見えます。
しかし、決してそうではありません。
  制御の無い自由は見せかけの自由であって、結局は罪の奴隷です。

 主に献身して制御される生活は、一見不自由で窮屈なものに見えるかもしれませんが、真の自由がそこにあります。信仰によってよく考えてみましょう。

「もし子(イエス・キリスト)があなたたちを自由にすれば、
        あなたたちは本当に自由になる。」
(参考 ヨハネ8:31−36)