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「命を与えてください」 (詩編138編-3)09/10/2006

主は高くいましても、低くされている者を見ておられます。
遠くにいましても、傲慢な者を知っておられます。
( 4節 )

 自分がいかに低い者であるかを知れば知るほど、神が自分のことを心にかけてくださると確信すべきです。主は高くいましたもうから、自分のような者のことは見ておられない、と決して思ってはなりません。それどころか、反対です。「主は高くいましても、低くされている者を見ておられます。」パウロやペトロを見ておられた主は、彼らと同様にわたしの祈りに耳を傾けてくださいます。また実際のところ、彼らこそ「低くされた者」でした。

「わたしが苦難の中を歩いているときにも、敵の怒りに遭っているときにも、
わたしに命を得させてください。」
( 4節 )

  「わたしに命を得させてください」という祈りは、この肉体の命を長らえさせてください、という以上の内容を持っています。詩編では、しばしばこの祈りが繰り返されています。(詩編119:25、37、40、88、107、149、154、156、159)一言で言えば、信仰の再生を求める祈りです。
信仰の再生こそ、命です。
  そのような命を得たなら、何を恐れる必要があるでしょう。

「主はわたしのためにすべてを成し遂げてくださいます。」(8節)


 また、そのような命があれば、祈り自体が祈りの答えをしっかりとらえています。
すなわち、「あなたの慈しみがとこしえにあるように」と祈りつつ、「とこしえにある」と確信するのです。また、「御手の業をどうか放さないでください」と祈りつつ、「決して放されることはない」と確信するのです。

信仰の再生がここにあるから、確信するのです。
わたしたちも祈りましょう。
「わたしに命を得させてください。」(7節)