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「主をたたえよ」 (詩編135.4編)
「国々の偶像は金銀にすぎず、人間の手が造ったもの。
口があっても話せず、目があっても見えない。
耳があっても聞こえず、鼻と口には息が通わない。
偶像を造り、それに依り頼む者は、皆、偶像と同じようになる。」 (
15−18節 )
偶像と偶像礼拝のむなしさが語られています。しかし、国々の民がそれをやめることはありませんでした。そればかりではなく、神の民であるイスラエルも、常に偶像礼拝へと傾いていきました。彼らは、生ける神の御言葉を聞き、多くの御業を見たはずです。その歴史をたどれば、神の証が満ちあふれています。それなのに、偶像礼拝へと常に傾いていきました。そして、ついには神殿の中にさえ、異教の神々を安置しました。(エレミヤ32:26−35)その一方で、遣わされた預言者たちは拒否され、ついにキリストも拒否されたのです。(参考 マタイ21:33−39)
「イスラエルの家よ、主をたたえよ。
アロンの家よ、主をたたえよ。
レビの家よ、主をたたえよ。
主を畏れる人よ、主をたたえよ。
シオンから、主をたたえよ、エルサレムにいます主を。
ハレルヤ。」
(19−21節)
キリストが来られた時、人々は主を賛美していました。しかし、賛美しながら、キリストを拒みました。その当時の偶像の正体が何であったか、はっきりしないかもしれません。しかし、人々は、キリスト以外の何かに心を奪われていました。
主への賛美は、堕落したアダム以来のすべての人間にとって、不自然なこととなってしまいました。キリストは、「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言われました。(ヨハネ3:3)また、「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」とも言われました。(マタイ4:4)クリスチャンは皆、新たに生まれて、神の国を見ています。確かに、信仰によって見ているので、不確かさがあり、弱さがあるかもしれません。しかし、神の口から出る一つ一つの言葉に養われ、強められて、主をほめたたえましょう。それを不自然なこととする人々の間で。