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「わたしは確かに知った」 (詩編135.2編)07/09/2006

「わたしは確かに知った。主は大いなる方、
       わたしたちの主は、どの神にもまさって大いなる方。」 (5節)

 「わたしは」とはっきりと言い切っています。他の人々はどうであれ、「わたしは確かに知った」のです。
 また、「確かに知った」とは、確かに信じたということです。信仰によって見えない事実を確認して、「確かに知った」のです。(参考 ヘブライ11:1)
 
「主は大いなる方」であると確かに知る人は、主に安らかに信頼して、静かにします。もし、そのようにできないなら、まだ「確かに知った」とは言えないでしょう。危機に直面して慌てるイスラエルに対して、神は預言者イザヤを通して、このように語りかけました。

「お前たちは、立ち帰って、静かにしているならば救われる。
安らかに信頼していることにこそ力がある。」

( イザヤ30:15)
「天において、地において、海とすべての深淵において、
主は何事をも御旨のままに行われる。」

(6節)

 主は全能の御方です。しかし、人間の都合や好みに合わせて働かれるわけではありません。御自分の「御旨のままに」行われます。それゆえ、神を確かに知ろうと志すわたしたちは、神の御旨に信頼することを学ばなければなりません。そうでなければ、「何事をも御旨のままに行われる大いなる方」を確かに知ることはできないでしょう。そして、その御方を確かに知って、安らかに信頼して静かにしているのは、あまりにも難しいでしょう。使徒パウロは、神を確かに知る人のこの上ない模範です。彼は、いかなる時にも大いなる神が自分の味方であること知り、どのようなわざわいの中でもキリストの愛を確信しました。(ローマ8:31−39)