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『主はダビデに誓われました』 (詩編132編-2)
「主はダビデに誓われました。それはまこと。思い返されることはありません。」(11節)
「主はシオンを選び、そこに住むことを定められました。」 (13節)
主が誓われ、定められたことについて、その言葉がそのとおりになると、どのようにして保証することができるでしょうか。人間の間では、信頼関係が難しくなるほど、言葉だけでは足りなくなります。その人の言葉だけでは足りないから、担保や他の人による保証が必要になります。反対に、仮に完全な信頼関係というものが存在するなら、言葉だけで十分でしょう。
キリストは、「よこしまで、神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがる・・・」と言われました。(マタイ12:39)主が誓われ、定められたからには、主の御言葉だけで十分です。それ以外のところにしるしや保証を求めても、確かさを得ることはできません。
主は永遠のことを誓われました。「彼の子らも永遠にあなたの王座につく者となる。」(12節)また、永遠のことを定められました。「これは永遠にわたしの憩いの地。」(18節)永遠のことをどのようにして確かめることができるでしょうか。主を信じ、その御言葉を信じる他にありません。
「わたしの慈しみに生きる人は喜びの叫びを高くあげるであろう。」(9節、16節)
これもまた、いまだに見ることができない光景です。確かに多くの主の僕たちが、そのような喜びを証言しています。(参考 フィリピ2:17−18)しかし、いまだに大多数の信仰者たちは、わたしたち自身も含めて、喜びの叫びを高くあげたり、沈黙したりの浮き沈みを繰り返しています。それゆえ、主の御言葉を信じることによってだけ、「喜びの叫び」が響き続ける時があることを確信するのです。
「彼の敵には恥を衣としてまとわせる。」(18節)
この事に至っては、ほとんど明瞭に見ることができません。反対にキリストに敵対する人々が勝ち誇っている様子を見る方が多いでしょう。しかし、それでも、主の御言葉によって、その時があることを確認するのです。
祈りましょう。
主が、信仰の薄いわたしたちを常に憐れんで、
主の御言葉だけで十分な者としてくださいますように。