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『母の胸にいる幼子のように』 (詩編131編)
「主よ、わたしの心は驕っていません。
わたしの目は高くを見ていません。
大き過ぎることを、わたしの及ばぬ驚くべきことを、追い求めません。」(1節)
まず第一に、神に対する謙遜を追い求めています。人に対しては、言葉や行動において足らないところがたくさんあるかもしれません。しかし、まず神に対して謙遜であることこそ、信仰の命です。その命がしっかりしているなら、人に対する言葉や行動もやがてそれに従って豊かに整えられてくることでしょう。「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。」(箴言4:23)そして、神に対して心が謙遜であるなら、今の境遇が何であれ、前途に多くのことを期待することができます。「名誉に先立つのは謙遜」(箴言18:12)
「わたしは魂を沈黙させます。
わたしの魂を幼子のように、母の胸にいる幼子のようにします。」
(2節)
しぶしぶ沈黙するのではありません。喜んでそうするのです。嫌なことに出会って泣きわめく幼子は、自分が何に直面しているのかよくわかっていません。また、自分の置かれている状況をよく理解して、泣き止むこともありません。幼子はわかって安心するのではありません。母を信頼しているから、その胸に抱かれて安心します。そして、泣きわめくのを止めて沈黙します。信仰者の歩みも同様です。理解できないままに、数多くの嫌なことに直面せざるをえません。しかし、どんな嫌なことに出会っても、十字架のキリスト・イエスを思うなら、自分に対する神の愛を疑うことはできません。復活のキリストを思うなら、豊かな未来を信じずにはいられません。そして、父なる神の右に座したもうキリストを思うなら、今の自分がどんなに惨めな罪人であれ、神は決してわたしを見捨てたまわないことがわかってきます。