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『主を待ち望め』 (詩編130編.3)
「イスラエルよ、主を待ち望め。
慈しみは主のもとに、豊かな贖いも主のもとに。」 (7節)
信仰者はがんばるのではなく、主を待ち望むことによって希望と元気を回復します。どんなに活力にあふれた人にでも限界があります。「若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れよう・・・」(イザヤ40:30)自分をどんなに叱咤激励しても、どうしようもない時があるでしょう。そんな時には、がんばって、あせったり、慌てたり、恐れたり、思い煩ったりしても、疲れが増すばかりです。しかし、聖書は教えます。自分を打ち叩くのをやめて、自分の外に心を向けて「主を待ち望め。」「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ40:31)
主を待ち望む人は、信仰によって待ち望まなければなりません。すなわち、見えるものを頼りにしないで、見えない事実を信仰によって確認するのです。(ヘブライ11:1)いくら熱心に主を待ち望んでも、何も起きず、事態は望ましくない方へと向かっていくように見えることがあるかもしれません。しかし、それでも「慈しみは主のもとに」あると信じるのです。(7節)
そのような信仰に生きる人は、見えるものが何であれ、祈りを絶やさず、主を待ち望むことをやめないでしょう。
また、主を待ち望む人は、罪の贖いこそ最も望ましく喜ばしいものであると知らなければなりません。罪の贖いなくして、すべてはむなしいのです。健康で、富と名声に恵まれ、才能にあふれていても、罪の贖いがないならば、人の心が満たされることはありません。神が人に「永遠を思う心」を与えられたからです。(コヘレト3:11)いかに人の間で認められても、神に認められなければ、永遠の名に価する希望がありません。神に永遠に認められる人とは誰でしょうか。罪を贖われた人です。
そして、その贖いは、十字架の主キリストによって与えられます。
「豊かな贖いも主のもとに。
主は、イスラエルをすべての罪から贖ってくださる。」
(7、8節)