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『深い淵の底から』 (詩編130編.1)03/12/2006

「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。
主よ、この声を聞き取ってください。
嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。」

(1、2節) 

  「深い淵の底」は、自分で脱出することができず、人の助けも期待できない場所です。そして、それは一つだけではありません。直訳すれば、「数々の深い淵の底から・・・」です。確かに、見通しの良い平地や山頂のような場所に立って、祈ることがあるでしょう。しかし、人間的にはどんな算段もつかない「深い淵の底から」祈らなければならないことがあります。この詩編は、そのような「深い淵の底」でも、決して祈りをやめてはならないことを教えています。人間的な限界が祈りの限界であってはなりません。人間的にまったく見通しが立たなくても、神の御心に反しない限り、祈りをやめてはなりません。神の御心にかなっているならば、なおさらです。わたしたちの祈りの生活の中に、「深い淵の底」で中断してしまった祈りはないでしょうか。もし、あるならば、もう一度「深い淵の底から」主の御名を呼びましょう。

「主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら、
主よ、誰が耐ええましょう。」

(3節)

  「深い淵の底から」祈る時、この上なく強い確信が必要です。強い確信がなければ、パンを求めたのに石が与えられ、魚を求めたのに、蛇が与えられているかのように誤解して、絶望してしまうかもしれません。あるいは、神がわたしの祈りを無視しておられるように感じるかもしれません。実際、神に近づけば近づくほど、わたしたちの罪はそのような思いを抱かせるでしょう。「主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら、主よ、誰が耐ええましょう。」しかし、「赦しはあなたのもとにあり、人はあなたを畏れ敬うのです。」(3節)

キリスト・イエスの贖いによって、神の愛への確信を新たにしながら、
数々の「深い淵の底から」祈りましょう。