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『主を畏れ、主の道を歩む人』 (詩編128編)02/19/2006

「いかに幸いなことか、主を畏れ、主の道を歩む人よ。
あなたの手が労したものはすべてあなたの食べ物となる。
あなたはいかに幸いなことか、いかに恵まれていることか。」

(1、2節)  

 このような幸いは、あまりにもありふれたことであって、幸いと呼ぶに価しないもののようにも思われるかもしれません。しかし、主の御前にへりくだって、主を畏れ敬うことを学ぶなら、当然のことではありません。労働できる健康、環境、そして、その成果を自分のものとできる権利の保障、これらは特別な恵みです。この詩編が書かれた時代だけでなく、今でさえも、そのような恵みは全人類が当然の如くに享受しているものではありません。ここには、労働とその成果への満足があります。そのような満足は、多くの富と称賛を得ている人のものではありません。いかなる労働を為して、いかなる成果を得ているにせよ、「主を畏れ、主の道を歩む人」のものです。

  「妻は家の奥にいて、豊かな房をつけるぶどうの木。」 (3節)ここには、妻への深い尊敬があります。神を畏れ敬うなら、ぶどうの木に豊かな房がついていることを発見するでしょう。

 「食卓を囲む子らはオリーブの若木。」 (3節) ここには、若木のような子らへの期待があります。神を畏れ敬うなら、オリーブの若木にいちじくの実を求めるような思い違いをしたり、あせって若木に多くの実を求めたりせずに、若木の成長をあくまでも期待して待つことができるでしょう 。

 労働とその成果への満足も、妻への深い尊敬も、若木のような子らへ期待も、家庭を建設するために必要なものです。そして、ありふれたものように見えて、実に得がたいものばかりです。どこで、それらのものが得られるのでしょうか。それらのものは、「主を畏れ、主の道を歩む人」の日々の生活において、主が与えてくださる祝福です。「見よ、主を畏れる人はこのように祝福される。」(4節)日々の幸いを得るために、主を畏れ、主の道を歩むことを日毎に学んで参りましょう。