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『主が家を建て、町を守られるのでなければ』 (詩編127編)02/12/2006

「主御自身が家を建ててくださるのでなければ、
家を建てる人の労苦はむなしい。
主御自身が守ってくださるのでなければ、
町を守る人が目覚めているのもむなしい。」

(1節)
  

 家も、町も、わたしたちにとって身近なものです。それらを建設したり、守ったりすることは、わたしたちの生活にとって、とても重要なことです。そのために一生懸命打ち込んで労苦することは、大いに意味のあることです。しかし、神を無視して、人間のまじめさや真剣さによって家が建てられ、町が守られるかのように、その目的を追求してはなりません。人間のまじめさや真剣さは、人間の罪や弱さに向き合う強さを欠いています。罪と弱さを持つわたしたちが、共に生活して何かを建設し、何かを守ろうとする時、罪や弱さに向き合う余裕が必要です。人間の罪や弱さに向き合うことのできない真剣さは、建設を求めて破壊し、守ることを求めて争うことになるでしょう。

 「朝早く起き、夜おそく休み、焦慮してパンを食べる人よ。
それは、むなしいことではないか。
主は愛する者に眠りをお与えになるのだから。」

(5節)

 「朝早く起き、夜おそく休み、焦慮してパンを食べる」ほどにあくせくと労苦したからといって、家が建てられ、町が守られるわけではありません。主がまどろむことなく、眠ることもなく、見守ってくださるからこそ、家は建てられ、町は守られているのです。(詩編121:3−6)信仰者は心からこのことを認めて、神に感謝し、神を求めつつ労苦すべきです。神を無視して、恐れたり、慌てたり、焦ったりして、あくせくとむなしい労苦をすべきではありません。そして、主に信頼し、主に従って、自分にできるその日一日の労苦を果たしたなら、主に感謝して眠るのです。

「主は愛する者に眠りをお与えになるのだから。」(2節)