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『涙と共に種を蒔く人』 (詩編126編)02/05/2006

「主がシオンの捕らわれ人を連れ帰られると聞いて、
わたしたちは夢を見ている人のようになった。」
(1節)  

  バビロン捕囚の当初、預言者エレミヤが捕囚の民に一通の手紙を書きました。そこには、70年後の解放と帰還を約束する預言が記されていました。また、捕囚の地で、その町の平安を祈りながら、落ち着いた生活を築く努力をするようにと命じられていました。(エレミヤ29:1−14)しかし、バビロンの強大な支配の下で、国を失った人々にとって、そのような預言は現実離れした夢でした。それゆえ、あのダニエルでさえ、その預言を悟ることもなく、軽んじていたほどです。(ダニエル9:1−2)そして、実際にペルシャ王キュロスの手を通して、その預言が成就した時、人々は「夢を見ている人」のようでした。(1節、参考・歴代誌下36:21−23)確かに、聖書が告げる福音は、夢のようです。しかし、その成就について現実的な見通しが立たないからといって、現実離れした夢として忘れ去ってはなりません。それは、人間の業ではなく、神の「大きな業」によって成し遂げられる現実的な夢です。ひたすら神に期待して、その成就を祈り求めるべき夢です。(3節

  「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。」 (5節)

 捕囚の地バビロンで、落ち着いた生活を築きつつ信仰を守ることは、実に労苦の多いことだったでしょう。涙と共に種を蒔いて、捕囚の地で労苦したところで、70年後の解放と帰還に何の役にも立たないように思われたことでしょう。しかし、神の御心に沿った悲しみも労苦も決して無駄になることはありません。「涙と共に種を蒔く人」は、その労苦が役に立たないように思える時にも、豊かな実りを期待し、確信して良いのです。

「主よ、わたしたちのために大きな業を成し遂げてください。」(3節)