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『良い人、心のまっすぐな人』 (詩編125.3編)
「主よ、良い人、心のまっすぐな人を幸せにしてください。」 (4節)
「良い人、心のまっすぐな人」とは、誰のことでしょうか。
自分は正しい者だと自惚れている人であるなら、心ひそかに自分こそ「良い人、心のまっすぐな人」と思うでしょう。しかし、主はそのような人を正しい者と認めてくださいません。聖書はあらゆる箇所で、人間の自惚れに容赦なく対立します。「だれもかれも背き去った。皆ともに汚れている。善を行なう者はいない。ひとりもいない。」(詩編14:3)
聖書に登場する聖なる人々は、自分の罪を心から知る人々です。
ダビデは祈ります。
「わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。」(詩編51:5)
イザヤは告白します。
「わたしたちは皆、汚れた者となり、正しい業もすべて汚れた衣のようになった。」(イザヤ64:5)
エレミヤは嘆きます。
「我々の罪が我々自身を告発しています。」(エレミヤ14:7)
ダニエルも祈ります。
「主よ、聞いてください。主よ、お赦しください。」(ダニエル9:19 )
主イエスのたとえによれば、彼らと同様に、罪を嘆く徴税人が正しい者とされています。行いと人格の立派さにおいて、ダビデやイザヤたちと徴税人は比べものにならないでしょう。
しかし、「神様、罪人のわたしを憐れんでください」と心から祈った徴税人は、義とされたのです。(ルカ15:13−14)「良い人、心のまっすぐな人」とは、何よりもまず「主に依り頼む人」です。(1節)
正しい道を歩み続けた聖なる人々も、今悔い改めたばかりの徴税人も「主に依り頼む人」としての姿は、同じです。
彼らは皆、自分の罪を知り、キリストの贖いに依り頼む人々です。
主に依り頼むことのない正しさは、人前では通用しても、神の御前では自惚れです。(ルカ15:9)