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『すべての災いを遠ざけて』 (詩編121-2編)11/20/2005

「主がすべての災いを遠ざけて、あなたを見守り、
     あなたの魂を見守ってくださるように。」 (7節) 

 「すべての災いを遠ざけて」とは、いかなる苦しみや悲しみもないということを意味していません。ヤコブは自分の生涯を回顧して、「わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く・・・」と言いました。(創世記47:9)パウロはキリストの使徒として召された時以来、「(キリストの)名のために苦しまなければならない」者として定められていました。(使徒9:16)また、新しい天と地において「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」と約束されているのは、現在の悲しみや嘆きや労苦を前提としています。(黙示録21:4)
 
カルヴァンも、次のように書いています。

「主に選ばれ、聖徒の交わりの中に入れられた者は、困難で労多く、骨が折れ、数知れぬ悲しみに満ちた人生のあることを覚悟すべき・・である。」(キリスト者の生活綱要3:1) 


  「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」
                             (第二コリント4:17−18)


 見えないけれども、「重みのある永遠の栄光」を失うことこそ、信仰者にとって、真の災いです。わたしたちも、それぞれに苦しみや悩みがあるでしょう。そこで、「永遠の栄光」に目を注いで、それらの苦悩を「一時の軽い艱難」として軽んじることに挑戦してみましょう。それは、そこから逃げたり、責任を放棄してしまうこととは違います。その苦悩の中で、「永遠の栄光」にあずからせるために、まどろむことなく見守ってくださる神を認めていつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝するのです。

「これこそ、キリスト・イエスにおいて、
神あなたがたに望んでおられることです。」

(第一テサロニケ5:16−18)