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『平和をこそ、わたしは語る・・』(詩編120編 .2)
「主はお前に何を与え、お前に何を加えられるであろうか。
欺いて語る舌よ。」(3節)
信仰者といえども人の子です。悪く言われれば、悪く言いたくなるでしょう。中傷されれば、中傷したくなるでしょう。しかし、自分の舌を制することを学びましょう。中傷する側に回るよりは、中傷される方がましです。苦難の中にあって、戦うべき相手は人ではありません。戦うべき相手は人ではなく、わたしたちの不信仰です。主に信頼するためにこそ、戦うべきです。主が、「欺いて語る舌」を放っておかれることはないからです。人間の裁きを逃れたとしても、主の裁きを逃れることはできません。
「人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる」(マタイ12:36)
相手の舌を制するよりは、自分の舌を制する方がはるかに簡単です。そして、それは大いに意味のあることです。それによって、わたしたちは、「つまらない言葉」を発するようなつまらない場においてさえ、主と共に歩むことを学ぶからです。
「わたしは不幸なことだ。」(5節)
今の不幸を知ることは、永遠の不幸ではありません。かつては自分の舌を制することもなく、人々と一緒になって、人を悪く言っていたかもしれません。しかし、今は自分の舌を制して、「平和を憎む者と共に・・・住む」ことを耐えがたく感じています。(6節)そして、「欺いて語る舌」によって戦いを挑まれながらも、「平和をこそわたしは語る」のです。(7節)
この信仰者の戦いは、不信者にとっては愚かしいものでしょうが、主の御前では永遠に尊い戦いです。
悪に悪を返さないことが勝利です。
相手が自らの行いを悔い改めたとしても、あるいは悔い改めずに裁きを自らに招くとしても、信仰の勝利は彼のものです。(参考 第一ペトロ3:8−17)