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『苦難の中から』(詩編120編 .1)
「苦難の中から主を呼ぶと、主はわたしに答えてくださった。」(1節)
「苦難の中」にあることは、必ずしも悪いことだとは限りません。信仰は「苦難の中」で成長します。「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」(ローマ5:3,4)神は苦しむ人を惜しみなく慰め、力づけてくださいます。
「主よ、わたしの魂を助け出してください。偽って語る唇から、欺いて語る舌から。」(2節)この信仰者の苦しみは、「偽って語る唇」です。おそらく、根も葉もないことを言われているのでしょう。偽りの舌による攻撃とは、まともに戦うことなどできません。面と向かって弁護しようと思っても、はぐらかされるだけでしょう。あるいは、いっそう中傷が激しくなるだけかもしれません。「欺く者の道は手ごわい」(箴言13:15)人の舌は「疲れを知らない悪」です。どんなに人格的に優れた人でも、「舌を制御できる人は一人もいません。」(ヤコブ4:8)しかし、制御しようと思っている限りは、信頼できます。しかし、「偽って語る唇」は、制御を放棄した舌です。このような悪を相手にする時には、無力を覚えるしかないでしょう。さらに悪いことには、人々は中傷を聞くことが決して嫌いではありません。「陰口は食べ物のように呑み込まれ、腹の隅々に下って行く。」(箴言18:8)舌の苦難は、決して軽んじることができません。
しかし、この苦難がこの信仰者にとって大いに役に立っています。祈りを学び、祈りに答えられる神に出会っているからです。
「主はわたしに答えてくださった。」
わたしたちの多くは、苦難と言えるほどの苦しみの中にはいないかもしれません。
しかし、苦難とまでは言えなくても、重荷もまたありがたいものです。
重荷のゆえに主を呼ばずにはいられないことが、幸いです。
苦しみの中から主を呼ぶ者に、主は必ず答えてくださいます。