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『日に七たび・・』 (詩編119編161−168節)
「日に七たび、わたしはあなたを賛美します。」 (164節)
神殿だけではなく、あらゆる所で主を賛美します。家庭で、働きの場で、遊び楽しむ場で、移動する道すがら、あらゆる所で賛美します。また、あらゆる時に賛美します。朝に、昼に、夕に、夜中に、嬉しい時、悲しい時、苦しい時、孤独の時、豊かな交わりの時、病いの時、倒れた時、立ち上がった時、罪を犯した時、悔い改めた時、あらゆる時に賛美します。そうでなければ、「日に七たび」主を賛美することはできません。この信仰者は、「日に七たび」賛美すべき神を見ているのです。このような信仰は、主の真実な証し人たちに共通しています。例えば、ヤコブは義父ラバンの下で、不当な重労働を20年間続けました。半分欺かれたようにして妻を得るために14年間働き、さらに報酬を10回もラバンに都合の良いように変えられながら、6年間働きました。しかし、ヤコブは賛美すべき神を見失いませんでした。(創世記31:38−42)また、パウロとシラスは、不当な逮捕によって投獄されました。しかし、その牢獄でも、体の痛みと疲れの襲う真夜中に賛美すべき神を見ていました。(使徒16:16−25)
「わたしは偽りを忌むべきこととして憎み、あなたの律法を愛します。」 (第一ペトロ3:14)
「日に七たび」賛美すべき神を見ている人は、同時に律法を愛する人です。律法を完全に守れるとは言えません。
しかし、「どこまでも愛します。」(167節)律法を完全に守れるかのような偽りの自信は持ちません。
しかし、律法の一点一画をおろそかにすることもしません。
自分の道は、神に対して誇れるようなものではないけれども、神に対して何も隠しません。(168節)
ありとあらゆる場所で、ありとあらゆる時に、あくまで神の御前にへりくだって神の恵み深い愛に堅く結びついているからです。
そして「日に七たび」賛美します。