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『わたしの心が恐れるのは』 (詩編119編161−168節)
「地位ある人々が理由もなく迫害しますが、
わたしの心が恐れるのはあなたの御言葉だけです。」(153節)
「地位ある人々」から、「理由もなく迫害」されるのは、恐ろしく戸惑うような事態であるはずです。理由がわかれば、それを取り除くための努力もできるでしょうが、理由がわからないのでは、手の施しようもありません。しかし、この信仰者は、迫害の理由の解明には興味がありません。むしろ、彼にとっては、「理由がない」ということが重要です。自分の罪や愚かさが招いたものでないとわかればよいのです。自分の罪や愚かさが招いたものならば、悔い改めてなすべきことがあるでしょう。しかし、そのような理由なしに迫害されるのであれば、信仰の忍耐をもって対応するしかありません。
「義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。
人を恐れたり、心を乱したりしてはいけません。」(第一ペトロ3:14)
「地位ある人々」の迫害よりも、「あなたの御言葉」が恐ろしいとはどういうことでしょうか。「地位ある人々」の好意を失い、迫害されることは、すぐ目前の具体的な不利益や被害を意味しています。それに対して、主の御言葉は、それがどんなに素晴らしい救いと恐ろしい裁きを告げていても、今すぐ具体的な不利益や被害をもたらすものではありません。それゆえ、主の御言葉は、アダムの堕落以来、今日に至るまで「神に背いたこの罪深い時代」において常に侮られてきました。(参考 マルコ8:38)それゆえ、ひとまず教会外の人々が神の御言葉を恐れないのは、当然のこととせざるをえません。
迫害の解明も、迫害を遠ざけることも、緊急の課題ではありません。
緊急の課題は、理由のない迫害への恐れを締め出すほどに、教会が主の御言葉を恐れるように導かれることです。