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『それだけがわたしのものです』 (詩編119編.7)
「あなたの命令に従うこと、それだけがわたしのものです。」(56節)
純真な信仰です。しかし、そのような信仰によってあくまでも主に従う道は細い道です。そのような道が希望のないもののように見えることがあります。反対に、主の命令を捨て去る方が広い道です。そのような道の方に、希望があるように見えることがあるでしょう。多くの人々が広い道を進んで行きます。(マタイ7:13−14)
主の命令に従うことをすべてとするような信仰は、真の信仰を持たない「自然の人」には受け入れられません。「それは愚かなことであり、理解できないのです。」(第一コリント2:14)時を経れば、細い道の方が正しかったことは明らかになります。それゆえ、律法学者やファリサイ派の人々は、「預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったり」することに熱心でした。そして、「もし、先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう」などと言っていました。(マタイ23:29−30)しかし、彼らが預言者と同時代に生きていたなら、主に従う預言者たちを率先して迫害したでしょう。事実、キリストを十字架につけるために率先して熱情を燃やしたのは、彼らでした。人間の知恵や力では、主に従う細い道を見分けることはできません。
「あなたの命令に従うこと、それだけがわたしのものです。」(56節)
このような純真な信仰は、聖霊と御言葉によって新しく生まれ変わった人のものです。「自然の人」には、愚かで希望がないと見える細い道に、永遠の命の希望、神の国の希望を見るのです。そして、「今までに得たものすべてに代えても」、その道を進むのです。(箴言4:7)しかも、いつも喜んで、そのようにします。これが、自分の臆病な霊から出てくるはずもありません。
「力と愛と思慮分別の霊」である聖霊のお導きを熱心に祈り求めましょう。(第二テモテ1:7)