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『あなたの裁きを待ち望んでいます』 (詩編119編.6)
この信仰者が心から求めているものが三つあります。
それは、まず第一に「慈しみと救い」です。
「主よ、あなたの慈しみと救いが仰せのとおり、わたしを訪れますように。」(41節)
第二に「裁き」です。
「あなたの裁きを待ち望んでいます。」(43節)
そして、第三に「あなたの命令(戒め)」です。
「あなたの命令を尋ね求めています。」(45節)
この信仰者にとって、神の「慈しみと救い」が本当に慕わしいものであるように、神の「裁き」と「命令(戒め)」も慕わしく、喜ばしいものに他なりません。神の戒めを完全に守って、何の非の打ち所もない者だから、神の「裁き」を待ち望んでいるわけではありません。神の「裁き」に、神の「慈しみと救い」を見ているから、待ち望んでいるのです。この信仰者にとって、主の「命令(戒め)」は、自分を断罪して絶望させるものではありません。むしろ、それこそ「広々としたところ」です。(45節)主の「命令(戒め)」に従うことは、窮屈なことではなく、伸び伸びとした自由の喜びを伴うことであり、主の「裁き」は本当に待ち遠しいものだと、告白しているのです。
このような信仰者は、恵みによって生まれ変わった人です。そして、恵みによって強くされた人です。イエスの語られた「放蕩息子のたとえ」に登場する弟は、父の家にいることが窮屈でたまりませんでした。自分の可能性は、父の家にではなく遠い国にあるように思われました。しかし、彼の自由は見せかけでした。父の財産を使い果たしてしまえば、結局のところ自分でどうすることもできない惨めな自分の姿に気づいただけでした。(ルカ15:11以下)
神の「命令(戒め)」に、神の「慈しみと救い」を見て、神の「裁き」を待ち望む人こそ、永遠の幸いな命を生きる人です。
この命の喜びが、わたしたちの間でますます力強く明らかになりますように。