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『律法を愛します』 (詩編119編113−120節) 08/21/2005

 

「心の分かれている者をわたしは憎みます。」 ( 113節 )

「心の分かれている者」とは、神に対して態度を決めることができずに、どっちつかずで迷っている者です。カルメル山で、預言者エリヤがイスラエルの民に「・・・もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え」と問うた時、民はひと言も答えませんでした。(列王上18:20−21)その後、主の奇跡を見た後には、「主こそ神です。主こそ神です」と言い出しました。(列王上18:39)見たから信じ、見たから態度を決めたのです。このような人々が、「心の分かれている者」です。そのような人々にとって、主の御言葉はいつも不確かなものに他なりません。

 「あなたの掟から迷い出る者はことごとく打ち捨てられました。・・・この地であなたに逆らう者はことごとく金かすのように断ち滅ぼされました。」(118、119節)聖書の御言葉に証しされながら歴史を見る時、このことはまさしく真実です。しかし、「心の分かれている者」にとっては、どんなにそれが真実であっても、昔のことであって今のことではありません。そして、今見ているものでないから、その心は迷い続けます。主の裁きは、そのような人々を「盗人が夜来るように」襲います。(第一テサロニケ5:1−10)御言葉を確かに信じる信仰が無いから、御言葉が実現するのを見るまでは、きっぱりとした信仰的決断ができないのです。見るべきものを見て、見ないで御言葉を信じる信仰が必要です。 

 「心の分かれている者を憎む」とは、彼らを憎悪するということではありません。どんな人々の介入や影響をも斥けて、いかなる曖昧さも無く神に対して決断することを意味しています。

「あなたの律法を愛します。」(113節)