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『それでも、あなたの律法を忘れません』 ( 詩編119編105−112節 )
「わたしの魂は常にわたしの手に置かれています。」 ( 105節 )
「主に逆らう者がわたしに罠を仕掛けています。」(110節)
自分の魂が自分の手に置かれているとは、いつも命がけの不安定な状態にあるということを意味しています。また、罠が仕掛けられているのに気づくのは、それだけ注意深く自制しながら道を歩んでいるからです。言い換えれば、明日をも知れぬ身なのに、ひたすら自制して、主に従っているのです。「・・・それでも、あなたの律法を忘れません。」(109節)「・・・それでも、わたしはあなたの命令からそれません。」(110節)この信仰者にとって、律法の命令は決して捨てることの出来ない福音です。律法こそが神と共に歩む「とこしえ」の「生活のよりどころ」だからです。「あなたの定めはとこしえにわたしの嗣業です。・・・わたしはとこしえに従って行きます。」(111、112節)
わたしたちは、福音を単なる知識とせず、「生活のよりどころ」としなければなりません。(第一コリント15:1)しかし、そこで言われている生活とは、「この世の生活」ではありません。もし、そうであるなら、「わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。」(第一コリント15:19)確かな希望もないままに、ひたすら主に従って自制して歩むのは、耐えられないことです。あの意志堅固な使徒パウロでさえ、こう言いました。「もし死者が復活しないとしたら、『食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか』ということになります。」(第一コリント15:32)主に従う人々は、確かに福音を「生活のよりどころ」としました。
しかし、その生活とは、神と共に歩む永遠の生活です。福音を永遠の「生活のよりどころ」にするとはどういうことでしょうか。
日々謙遜に学んで参りましょう。