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『律法を愛する』 (詩編119編97−104節) 07/10/2005

「わたしはあなたの律法をどれほど愛していることでしょう。
わたしは絶え間なくそれに心を砕いています。」
(97節)

 生まれつきの人間は、律法を愛することができません。しかし、神に従う道を教える律法こそ、あらゆる祝福を約束するものです。それは「夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない有能な妻」のようです。(箴言31:10−12)律法を愛するなら、名誉、健康、富、財産など、あらゆる祝福が約束されています。(箴言4:8、4:22、8:18など)あるいは、子孫の生活への祝福も約束されています。(詩編37:25)その他にも、聖書全体から無数の約束を得ることができます。

 しかし、律法に対する一目ぼれはないでしょう。律法を愛するのは、主との交わりを深めることに伴ってです。主に従う歩みを通して、律法を愛するように導かれていくのです。そして、たとえ現実が律法の約束と食い違うように見えても、愛するのです。

 律法を愛してその祝福を受けるためには、現実との食い違いに忍耐することのできる信仰が必要です。聖書では、律法を愛することのない人々の健康も、財産も、名誉も、「草の花の華やかさ」にたとえられています。すなわち、いつかは失われていくべきものです。それに対して、主の御言葉が約束する祝福は、失われることなく、尽きることがありません。「主の御言葉は永遠に変わることがない。」(第一ペトロ1:24−25)ただし、この御言葉の約束は、この不信仰な世の現実の中に、種のような仕方で蒔かれて、種のような仕方で進展しています。だから、豊かな実りを見たいなら、「立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して」実を結ばなければなりません。(ルカ8:15)

主が、わたしたちの内に律法を愛する心を養い、強めてくださいますように。