<< Prev.
Top
Next >>

『あなたの救いを求めて・・・』 (詩編119編81−88節) 06/26/2005

 

「わたしの魂は、あなたの救いを求めて絶え入りそうです。
あなたの御言葉を待ち望みます。」
(81節)

 息も絶えんばかりの状態になっても、「あなたの救い」を求めています。そして、主の御言葉の実現をあくまでも待ち望みます。(81節)しかし、生き生きとした気力にあふれて待ち望んでいるわけではありません。実際には、待ちくたびれて、疲れ果てています。以前には、今か今かと主の御言葉の実現に目を注ぐこともできたでしょう。しかし、今は「わたしの目はあなたの仰せを待って衰えました。」(82節)反対に、そのような彼の姿を嘲る「傲慢な」人々は活発に活動しており、彼を倒そうとして「落とし穴を掘りました。」(85節)また、迫害する人々は複数であり、彼は孤独です。「人々は偽りをもってわたしを迫害します。」(86節)しかし、それでも、この信仰者は主の救いを求めて、主の御言葉を待ち望んでいます。そして、主の救いの実現について「いつか」(82節)「いつ・・・でしょう」(84節)と問うことはあっても、どこに主の救いがあるかとは言いません。信仰には、このような姿勢が無くてはなりません。「神の御心を行って約束されたものを受けるためには忍耐が必要なのです。」(ヘブライ10:36)

 信仰の忍耐とは、じっと座りこんで何もせずに待ち続けることではありません。
確かにこの詩編の信仰者は待ちくたびれて、疲れ果て、絶え入りそうになっていますが、何もしないわけではありません。むしろ、その反対です。
「煙にすすけた革袋のようになっても、あなたの掟を決して忘れません。」(83節)「わたしはあなたの口から出た定めを守ります。」(88節)
自分で自分を救えるかのように悩んだり、慌てたりはしませんが、主の救いを求めて、ひたすら主に従っているのです。
  そして、主がいつか救ってくださるのを待っているのです。

これが信仰の忍耐です。
この忍耐には、神に従う喜びがあります。