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『御手がわたしを造り・・・』 (詩編119編73−80節)
「御手がわたしを造り、固く立ててくださいました。」 (73節)
このような確信は、科学的な検証の結果ではありません。主の御言葉を信じる信仰によって、この事実を確認するのです。 (ヘブライ11:1−3) また、この信仰告白は、神によって自分が形作られ、今日のような自分になったのだという強い確信を表しています。他人との比較や競争によって、自分に確信を持っているのではありません。他の人と比べたなら、劣っている所もたくさんあるかもしれません。それでも、 「固く立ててくださいました」 と確信しているのです。これこそ、自分を造られた御方を知ることによって得られる幸いな確信です。 「主よ、あなたは我らの父。わたしたちは粘土、あなたは陶工、わたしたちは皆、あなたの御手の業。」
(イザヤ64:7) 主はご自身のご計画に従って、様々な器を造られます。互いに比較するだけが判断の基準なら、ほとんどの器が自分自身に対して強い確信など持てないのではないでしょうか。しかし、陶工が愛情をこめて造った器なら、陶工にとっては尊い器であり、大いに役立つはずの器です。
「あなたの戒めを理解させ、学ばせてください。」 (73節)
主に造られた器は、主の戒めに従ってこそ役に立ちます。器自体がどんなに立派でも、主の戒めに反した用い方をされるなら、期待はずれの器です。器の大小、強弱、姿形を問題とせず、本当に正しい用い方がなされているかどうかを問題としなければなりません。
主の戒めに喜んで従っているなら、その器を造った陶工の愛情に正しく応答していると言えるでしょう。 「あなたの律法はわたしの楽しみです。」 (77節)
このような信仰は、救いの恵みです。
福音の下でこそ、わたしたちは自分自身への真実な確信と、
本当に自分らしい有用な生き方に立ち返るのです。