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『 どのようにして、若者は・・ 』(詩編119編.2)04/17/2005

 

「どのようにして、若者は歩む道を清めるべきでしょうか。
あなたの御言葉どおりに道を保つことです。」 (1節)


  このような問いと答えは、多くの若者にとって、何の魅力もないものでしょう。放蕩息子のたとえ(ルカ15:11−32)に登場する二人の息子もそのような若者でした。彼らは共に、「御言葉どおりに道を保つ」ことに反発していました。弟は、父の御言葉を捨てて生活するために、家を出て行きました。兄も表面上は御言葉に従っていましたが、御言葉に従ったところで何も良いことはないと思っていました。(ルカ15:29)しかし、彼らは何もわかっていませんでした。弟は放蕩三昧の挙句に気づきます。「父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどのパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。」(ルカ15:17)兄も自分の本音を述べ立てた末に、御言葉によって父の心を知ります。「わたしのものは全部お前のものだ。」(ルカ15:31)「若者の心には無知がつきもの」です。(箴言22:15)

 

 自分の思いに従うことこそ自由であるという考えが一般的です。しかし、この自分の思いが曲者です。あらゆることを自分の思いのままに追及したコヘレトは、決して満足しませんでした。「見よ、どれも空しく、風を追うようなことであった。」(コヘレト1:14)コヘレトはさんざん自分の思いを追及した挙句に悟った一つのことを若者に教えます。「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。」(コヘレト12:1)

 創造されたわたしたちは、創造主の定めに従ってこそ、自由であり幸いです。
若い日の無知を遠ざけて、聖書の知恵に学びましょう。

「どのようにして、若者は歩む道を清めるべきでしょうか。」

あなたの御言葉どおりに道を保つことです。」(1節)