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『主の律法に歩む人』(詩編119編.1)
「いかに幸いなことでしょう。
まったき道を踏み、主の律法に歩む人は。」(1節)
聖書が教えるところによれば、人間の幸福は、結局、神との関係によって決まります。たとえ、どんなに繁栄しているように見えても、神から「遠ざかる者は滅びる」と教えます。(詩編73:7)「主に逆らう者が野性の木のように勢いよくはびこる」としても、そのような繁栄に未来はありません。(詩編37:35)
確かに、神に忠実に従う人々も自分の幸福について迷うことがありました。(詩編73編)しかし、そのような迷いに心を燃やしてはならないと、聖書ははっきりと教えます。「日ごと、主を畏れることに心を燃やすがよい。」(箴言23:17)
また、神を離れて真の喜びを得ることもできません。「銀を愛する者は銀に飽くことなく、富を愛する者は収益に満足しない。」「金持ちは食べ飽きていて、眠れない。」(コヘレト5:9、11)どんなに多くのものを手に入れても満足できず、どんなに自由に歩んでも心からの喜びがありません。自らの分をわきまえて、「その労苦の結果を楽しむ」のは、神の賜物です。(コヘレト5:18)主に従う人こそ幸いです。もっと正確に言うなら、主の律法を心から愛して、「主の律法に歩む人」は幸いです。
主の律法を愛する人とは誰でしょうか。
闇の中にいた人が光に出会ったかのように主の律法を学ぶ人です。
あるいは、神の御前から全く失われていた羊が羊飼いの声を聞いたかのように学ぶ人です。
そして、主が自分に命じられたことをすればするほど、熱心に神の憐れみを求めて、神に感謝する人です。
そのような仕方で「主の律法に歩む人」は、いかに幸いなことでしょう。