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『わたしたちの目には驚くべきこと』(詩編118編.4)03/27/2005

「家を建てる者の捨てた石が隅の親石となった。」(22節)


 「家を建てる者」が、何の役にも立たないものとして「捨てた石」が、重要な土台の石となりました。主の救いは、そのように思いがけない仕方で実現されます。人が考えている助けや救いと、神が与えてくださる助けや救いは、必ずしも一致しません。「苦難のはざま」で主の御名を呼びながら忍耐し(5節)、強大な敵に囲まれながら、全く人間の助けや救いを当てにしないで、主を避けどころとして忍耐し(8、9節)、主の御名にあくまでも拠り頼んで戦う人々は、人の目には何の助けも救いもない人々のように見えるかもしれません。キリストは、十字架上で、「神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ」とののしられました。(マタイ27:43)しかし、キリストは、神の助けと救いにこの上なくあずかっておられたからこそ、十字架から降りて来られませんでした。(参考 ヘブライ5:7)そして、わたしたちの救いの「隅の親石となった」のです。(22節、参考 使徒4:8−12)主の助けと救いは、まさしく「わたしたちの目には驚くべきこと」です。(23節)

いろいろとわたしたちが恐れたり、思い煩ったりしていることがあると思います。将来のこと、人間関係のこと、健康のこと、あるいは死のことが心を暗くしているかもしれません。しかし、「主を畏れることは知恵のはじめ」です。(箴言1:7)

何ものよりも神を畏れる信仰の光の下で、神の助けと救いを見直してみましょう。

そして、神を抜きにした人間中心の人生観や世界観の中では見えなかった助けや救いが見えてくるまで忍耐強く祈り求めて参りましょう。


「これは主の御業、わたしたちの目には驚くべきこと。」(23節)