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『主は答えて』(詩編118編.2)
「苦難のはざまから主を呼び求めると、
主は答えてわたしを解き放たれた。」(5節)
祈りは答えられました。「主は答えてわたしを解き放たれた。」(5節)しかし、与えられた解放は、苦難の状況が無くなったことではなく、ただ神のみに依り頼む信仰を得たことです。(6−9節)
信仰に基づいて祈りをささげ、信仰に基づいて答えを受け取らなければなりません。「求めなさい。そうすれば与えられる」との約束をそのまま信じるべきです。(マタイ7:7)しかし、与えられた答えについて、「パンを求めたのに、石を与えられた」「魚を求めたのに、蛇を与えられた」と言うようであってはなりません。祈ったのに、苦難の状況はいっこうに無くならず、祈りは聞かれないと言っているようなら、祈り続けることはできないでしょう。あるいは、もっと狂信的に自分の願いを神にぶつけるようになるかもしれません。祈りの答えは、神への信仰の中にあります。この信仰者が逃れて解放された場所は、思いがけずも「苦難のはざま」の真っ只中に与えられたのです。「人間に頼らず、・・君候に頼らず・・、主を避けどころとしよう。」(8、9節)このような信仰は賜物です。祈り求めてようやく与えられるものです。「体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」と命じられた主に祈って、人を恐れずに「魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方」を恐れる信仰が与えられたのです。(マタイ10:28)
祈りは、主の御心に従ってささげられなければなりません。
そして、主の御心の実現こそ、祈りの答えです。
信仰に基づいて祈り、信仰に基づいて祈りの答えを受け取ることを学んで参りましょう。
何を祈り、何を祈りの答えとしているか、自己吟味することが必要です。