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『すべての国よ、主を賛美せよ』(詩編117編)
「すべての国よ、主を賛美せよ。
すべての民よ、主をほめたたえよ。」
主の民イスラエルは、そのような大胆な呼びかけをするのにふさわしいものとは見えない貧弱な民でした。むしろ、すべての国や民に囲まれた、取るに足りない存在でした。(参考 申命記7:7)それは、世界という畑に蒔かれた種にたとえることができます。しかし、どんなに貧弱でも、種が蒔かれたということが重要です。麦の種が蒔かれたなら、そこは麦畑です。花の種が蒔かれたなら、そこは花畑です。それと同様に、どんなに小さく貧弱な民でも、「主を賛美せよ」「主をほめたたえよ」と宣教する民の存在が、世界に対して決定的な重要性を持っています。一言で言えば、主の民にとって、数の大小、勢力の大小がまず第一に重要なことではありません。
何よりも重要なことは、主を賛美する民が確かに存在しているということです。
「主の慈しみとまことはとこしえに
わたしたちを超えて力強い。」(2節)
これが、主をほめたたえる理由です。「主の慈しみとまこと」を知るから、主を賛美します。また、「主の慈しみとまこと」を知るからこそ、自分の貧弱さにも臆することなく、「すべての国」「すべての民」に大胆に宣教しています。わたしたちも、主の「慈しみとまこと」をもっと知る必要があるでしょう。主の民にとって致命的な問題は、貧弱な存在だということではありません。「主の慈しみとまこと」を知ることもなく、感謝することもなく、喜ぶこともないままに進んでいくことです。
わたしたちが歩んで行くすべての道で、「主の慈しみとまこと」を認めましょう。
主の御言葉を口ずさみ、主の御言葉を慕い求めつつ。(ヨシュア1:8、第一ペトロ2:1‐2)