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『生涯、わたしは主を呼ぼう』(詩編116編.2) 02/20/2005

 この詩編の信仰者は、確かに信じています。

「わたしは主を愛する」と告白できるほどに、神の存在を信じています。(1節)「主は嘆き祈る声を聞き、わたしに耳を傾けてくださる」と信じています。「救ってくださる」「報いてくださる」と信じています。(2、6、7節)彼にとって、神の存在も報いも確かです。神に近づく者に必要な二つの信仰があります。「神が存在しておられること」「神がご自分を求める者たちに報いてくださる方であること」を確かに信じているのです。(ヘブライ11:6)この信仰が整わないままに、わたしたちは無理やりに祈ろうとし過ぎるのかもしれません。彼の生涯は、ごく自然な仕方で祈りの生涯です。「生涯、わたしは主を呼ぼう。」(2節)

 また、確かに彼の祈りは応えられました。「あなたはわたしの魂を死から、わたしの目を涙から、わたしの足を突き落とそうとする者から助け出してくださった。」(8節)しかし、彼はもっと大きな報いを受けました。「命あるものの地にある限り、わたしは主の御前を歩み続けよう。」(9節)信仰に信仰が増し加えられたのです。そして、もっと大きく神を喜んでいます。そのような信仰の中では、以前には恐れていた死さえも、次第に意味を変えて、災いであることをやめつつあります。「主の慈しみに生きる人の死は、主の目に価高い。」(15節)祈りの生涯を歩み、信仰に信仰を増し加えていただく人は幸いです。

 焦って祈ろうとせず、主の御前に一人静まって、自分の信仰を吟味してみましょう。

 キリストを信じているなら、何も祈れないということはないでしょう。
しかし、同時にあまりよく祈れない自分の姿にも気づくでしょう。
信仰は賜物です。(エフェソ2:8)それゆえ、祈りの生涯も賜物です

主が、わたしたちに信仰と祈りの生涯をお与えくださいますように。