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『身もだえせよ』(詩編114編) 01/16/2005

「イスラエルはエジプトを・・去り、ユダは聖なるもの、
          イスラエルは神が治められるものとなった。」 (1節)

 荒野のイスラエルは、しばしば今日のことに失望して怒り、明日のことを思いわずらって恐れました。(出エジプト16:3、17:3、民数14:2−3)しかし、そうする前になすべきことがありました。それは、自分が何ものであるかを確認することです。彼らは、「神の聖なるもの」「神が治められるもの」となったのです。このことを見失って、今日の困難や明日への不安のみに心を奪われたままであるなら、彼らに正しい判断はなく、正しい歩みもあり得ませんでした。

「海は見て、逃げ去った。ヨルダンの流れは退いた。」(3節)

 今、自分たちがいる場所が荒野であるにせよ、約束の地で予想外に苦闘しているにせよ、どのようにしてここに至ったかを忘れてはなりませんでした。渡れるはずもない葦の海を渡り、ヨルダン川を渡って、そこにいたのです。(出エジプト14章、ヨシュア3章)また、シナイ山全体を激しく震わす主なる神を間近に経験しながら、律法を受けて、そこにいたのです。(出エジプト19:18)今までに受けた恵みへの驚きの中で、自分たちの今日を生き、明日を見てこそ、信仰の民の平安と喜びがあります。

   「地よ、身もだえせよ、主なる方の前に。
     ・・岩を水のみなぎるところとし、硬い岩を水の溢れる泉とする方の御前に。」(7−8節)

 不可能を可能に変える神の御前で、ますます自分の弱さやはかなさを知って身もだえしましょう。そして、到底人の知恵や力で推測することのできない仕方で、わたしたちを救ってくださる神を認めましょう。そのようにして信頼してこそ、喜びと平安をもって神に従うことができるでしょう。
  身もだえするようにして恵みの神を認め、恵みの中にある自分を知ることから、毎日の歩みを始めて参りましょう。

神は、人知をはるかに超えた仕方で、その民を救う御方です。