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『低く下って・・ご覧になる』(詩編113編)
「ハレルヤ。主の僕らよ、主を賛美せよ。」(1節)
主の僕は、主を賛美しなければなりません。それは、主に従って生きようとする時に、ぜひとも必要なことです。どんなに堅固な信仰を持っている主の僕でも人の子です。自分の境遇によって、心が浮き沈みすることは避けられません。預言者エリヤも間断なく続く試練に耐えかねて「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください」と祈りました。(列王上19:4)信仰における第一の関心事が自分自身のことであるなら、信仰者の幸いは必ずしも常に明白なものではありません。人の境遇は移り変わっていきます。主の僕が幸いなのは、自分自身の外に出て行って、主を賛美することの中にあります。主イエスは、「貧しい人々は、幸いである」と言われました。(ルカ7:20)「貧しさ」自体が幸いなのではありません。「貧しい人々」が自分の外に心を向けて主を賛美してこそ、幸いです。
「主はすべての国を超えて高くいまし、主の栄光は天を超えて輝く。」(4節)
これほどに高く大いなる主が、賛美の対象です。しかも、この御方は「低く下って天と地をご覧になる」のです。(6節)神を賛美するために、今いる所を離れて、どこか別の所へ行こうとする必要はありません。「今の自分の状態は悪すぎるから、もう少しましになってなから、主の御名を呼び求めることにしよう」と言ってもならないのです。必要なのは、わたしたちが高く昇ることではなく、いと高い所から低く下りたもうた主を認めて、賛美することです。
「弱い者」「乏しい者」の幸いは、この御方を正しく認めて賛美することの中にあります。彼らは、自分の知恵や力で自分の境遇を改善できない人々を代表しています。しかし、彼らが本当に主を賛美できるなら、そして、自分たちの祈りを聞きたもう神を認めることができたなら、それが祈りの答えです。苦しみの中で主に祈ったハンナは、祈りが聞かれたと知った時、もはや以前のような表情をしていませんでした。(サムエル上1:18)
「弱い者を塵から起こし、乏しい者を芥の中から高く上げ・・・
子のない女を家に返し、子を持つ母の喜びを与えてくださる。ハレルヤ。」(7、9節)